コンクールの中止で見失いがちの点

目標や、発表の機会、努力の評価される機会の喪失、それに対して音楽はコンクールが全てじゃないとか言われていますが、問題はそこじゃないと思ってます。

 

そもそも、人が一同に介する事ができないと言う根本的な問題を忘れていませんか??

 

これってつまり通常の形態でのアンサンブルに属する物は全て出来ないって事ですよ。

 

確かに皆んなが録音したものをミックスするようなDTMの類は可能です。

しかし、使う楽器や、曲は同じでも、その時点で吹奏楽そのものではすでに無いんですよ。

 

しかも完全な収束の見通しが立っていない状況のため、プロを呼んで新たな評価の場を設けたり、演奏会などの別の目標となる機会すら予定が立てられない状況です。

 

コンクールを過大評価し過ぎなのは、もともと指摘されてきていました。

しかしそれを今言った所で吹奏楽の運営が脅かされる事態そのものの解決にはなりません。

 

問題はどのように個人で技術を蓄積できるか、未知の事態で能動的な行動を起こさせるような能力が指導者には求められていると思います。

これがノウハウとして蓄積される事で、楽器を買ってまで辞めてしまう吹奏楽部の経験者を1人でも減らしていくことに繋がっていけばなーっと個人的には思っています。

 

ある意味でコンクールなどの行事に頼っていて、高い楽器を買わせるだけ買わせて、無責任になっていた部分かもしれません。